diary

いつも考えていること

美味しさの秘密

ゴールデンウィークは帰省した。
兄も僕も大学卒業後、就職し出て行き、本来なら子育てを終えた夫婦二人が過ごしているはずの実家だが、二年前に母が亡くなったため、父が一人で暮らしている。
汚いことはないけれど、綺麗なこともない。
あるところは二年前から一切手をつけられていないし、あるところは父の過ごしやすいように大幅に変わっている。
 
定年までまだ10年弱ある父は、近く東京へと転勤になるそうだ。
僕にとって、今回の帰省は、実質的に人の暮らしていた実家を見る、最後になるみたいだ。
貸すとか売るとかも考えているらしく、いずれ僕には帰るところがなくなる。
来年のお正月は一応実家で過ごそう、なんてことを父は言っていたが、その時には実家から粗方のものは運び出されて、伽藍堂になっていることだろう。
僕も今回の帰省中、自分の本棚や服を整理した。
 
母がいれば、と思う。
友人たちから聞く帰省と言えば、両親は喜んで、大歓迎。
お母さんはご飯を食べきれないほど作ってくれて、お父さんはいつもよりお酒を飲みすぎて、同時に帰省しているお兄ちゃんや妹は地元の友達と飲みに行っちゃって、真ん中の自分がやることなく家にいても、なんやかんやと構われる。
みたいな、感じ。
で、いつ結婚するのとかやや鬱陶しい絡みもあって。
 
僕の帰省は今、そんな感じじゃない。
他人の家に、間違って上がっちゃったような気持ちになる。
なんだか、においが違う。くさいんではなくて、母が形作っていた暮らしのにおいではない、別のにおい。
僕が10代の頃、普段ほとんど家にいなかった父が家にいることも不思議に感じる。
案の定テレビを見てお酒を飲んでいる。
僕と話すような話題もない。話そうとしても仕事の話しかない。
僕が相撲の話をしても、たいした反応はない。
僕の趣味に無関心なのは今に始まった事ではないけれど。
高校生の時本を読んでいたら「怠け者」と怒られたり、「何を考えているか分からない」と怖がられたりして、僕は父に対して深い断絶を感じていたものだった。
 
父は、僕が帰省したら、そのご飯の面倒を見なきゃいけないと強く思うらしい。
帰省する10日前くらいにメールがあって、何日と何日はご飯がいるのか聞かれる。
僕としては別にそんなの適当でいい。
各自済ませばいいと思う。
僕は僕で、毎日一人暮らしで適当な食事をしているのだから。
そして父は父でなんとかやっているのだから。
負担になるようなことはやらなくていいのに。僕も、あえて料理を振る舞うようなことはしない。
なぜなら、僕は料理を父はもちろん母からも教わったことがないから。作って褒めてもらっても得しないし、マイナスな反応があった時、その不満は通常感じる倍になるだろう。
もう、いいのに。
僕は今実家にそんなことは求めてないし、というかそもそも父にその役割、家事を、我が家はさせないこととしてきていたのだから、今更、もう、いいのに。
 
母がいれば、と思う。
毎日の延長線上で、僕のご飯が今日要るか要らないかなんて、適当に按配してくれていたのだろう。
今父が毎日のご飯をどうしているのか知らないが、かつて我が家はそうやって、役割を明確に分けて運営されてきて、それが母の死をきっかけに崩れることなく、それぞれそのまま、ただ母が不在のまま、バラバラになった。
それで、別にいいのに。
父は無理して、かといって作るのではなく、親戚や隣家からいただいたおすそ分けやらをレンジで温め直して出す。
僕らは、向かい合うでもなく、斜向かいに座って、黙って食べる。かつて父の向かいには母がいて、僕の向かいには兄がいた、それが欠けたままの状態で。
その時間は重苦しく、なんともやりきれない気持ちだ。
そして父は兄夫婦があまり相手してくれないことへの不満を言う。
だからと言って僕も父に何もしないのだから、簡単に同意できない。
へー、と呟いた相づちのようで相づちでない言葉が、やけに広い実家に響く。
 
父が「お母さんがいれば…」と言う。
お母さんがいれば、僕らはその手料理を食べ、会話に困ることもなく、なんとなく上手くやっている風だったのだろうか。だろうな。
父は、母の手料理をいつも「美味しい」と言った。
父は、平日は大抵外で食べてきていたので、母の料理を食べるのは土日だけだった。
パクッと一口食べて、「美味しい」と言う。「な、美味しいな」と僕か兄に向かって言う。
テレビを見ながら、橋下徹への支持を表明するか、民主党を批判するくらいで、他に特に話すこともなく食卓を離れソファに座り、ウィスキーを煽り出す。
台所では母が洗い物を始める。僕も兄も手持ち無沙汰に自室へ引き上げる。
そんな、家族の風景。
 
父は母の料理の何がどう美味しかったのか、たぶん覚えていないと思う。
ある時、母が「どれだけ手間をかけて作っても食べるのは5分で、感想も言われない」と怒ったことがきっかけで、何か一言言うことになっていた。
その帰結が、「美味しい」「な、美味しいな」なのである。
 
実際父は、平日は外食していたわけで、それも300円くらいの牛丼を食べていたのではなく、接待のための、大枚をはたいた「美味しい」ものを食べていたわけだから、母の手料理を真に美味しいと思っていたのかというと怪しい。
母も常々、父が外で美味しいご飯を食べていることを指摘していた。その都度父は「仕事で行っている」旨を告げ、むしろ母が服を買いすぎていると茶化し、その場は一応丸く収まるのだった。
 
とはいえ父は母の料理について、不味いとは思っていなかっただろう。
「母が作る」料理という、このカッコ書きされた「情報」を食べて、出力される結果が常に「美味しい」だったんじゃないだろうか。
きっと外食時には、お客さんに「これはよう味がしゅんでまっせ」とか「絶妙な火の入れ具合ですね、舌でとろけるようや」とか「ええ器ですな、風情がある」とか、いろんな感想を持っただろう。
ただ、「母が作った」に対しては「美味しい」という平坦な感想しか見出すことができないだけで。
つまりきっと、トーストであろうと目玉焼きであろうと、ハンバーグだろうがエビフライだろうが、食材や技術よりも「誰が作ったか」という情報が強かったのである。
そういえば家で焼肉なり、すき焼きなりをすれば、よく言っていたのが「これはさっきの肉より高かった、100gあたりなんぼやった」というものだった。
この場合、味覚において「金額」という情報が強かったのだろう。
鍋の中で混じってしまえば、実は肉の違いが分からないので、ナーバスなまでに肉の種類が混ざることを忌避していたことを思い出す。
 
国分功一郎の「暇と退屈の倫理学」という名著がある。 

 

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

 

 

 以前も引用したことがある。

 
ファストフードはなぜ早く食べられるか、というとファストフードは情報量が少ないからだ、と国分氏は書く。
ファストフードをたとえどれだけゆっくり食べても、内包される情報量は変わらないので、味わうことができない。
反対に、吟味された食材、磨かれた技術で調理された料理には情報量が多く、味わわなければ食べられない。
しかしたとえそういった情報量の多い料理であっても、受け手の知識が未熟であればそれは味わえないこともある。
楽しむためには訓練が必要だと国分氏は書いているのである。(欲望の正体が知りたい - izumishiyou’s diary)
 
料理の持つ情報とは、食材や技術だけでない。
「誰が作った」「どこで食べた」といった環境もまた料理の情報となる。「母が作った」ということも料理の情報の一つとしてあるわけだ。
そしてまた、その時の自分の状況、体調や気分、記憶もまた料理の情報のうちに入るだろう。
仕事で忙しい時に食べる料理と、何もすることのない休日に食べる料理は、その味わい方がどうしても異なる。
僕は中学生の時、行事で1キロ遠泳をした後、お汁粉を食べたことがあるが、あれは美味かった。同級生の誰に聞いてもあの時ほどうまいお汁粉は食べたことがないと口を揃えて言う。
感覚の偏りは当然、味わい方に作用するのだ。
 
不思議なことだ。
料理を味わう、というと目の前に置かれたお肉や野菜を食べる話のように思えるけれど、食材や技術をニュートラルに味わうことは決してできない。
付き合いたての頃のマクドナルドと、別れが近い頃のマクドナルドは、同じように味わえない。
 
そこから言えば、父の味わい方は「母が作った」とか「値段」とかによるものであって、食材や技術はもちろん、自分の状況や体調、気分すらも無視した、習慣化(=日々の繰り返しから"違い"を無視したもの、ドゥルーズ)された味わい方であり、料理が何であるかは大した問題ではなかったのだ。
 
人は「記号」を消費している。
記号、つまり「高い料理」「有名なシェフ」「ミシュランで三ツ星獲得のレストラン」「ヒルナンデスで紹介されたお店」というような、食材や技術といった味そのものを決めているものとは違う意味を、料理の上にペタッと貼り付けて、それを人は消費している。
要は他人に対して、その美味しさを説明する際に「とろけるようなお肉だった」とかなんとかいうよりも、「叙々苑で1万5千円もするのん食べた」「銀座のええところで一人二万円するねん」「ヒルナンデスでやってたあの店に一時間半並んでん」と言う方が「美味しいもん食べてんなあ」「東京はすごいなあ」「一時間半も並んだん!」と反応してもらえる、という程度の話である。
父にとって家で食べる料理は、他人に「お母さんが作ってくれるものが一番美味いですよ」と言えば、「それはそうですよね」と同意の得られる、漠然としたものだったのだと思う。
もちろん、兄や僕にとっても。
 
今僕は、料理教室に通い、これまでの自己流、無手勝流の適当なご飯から、少しは料理らしいものを作る日がある。毎日という訳にはいってないけど。
5分でも10分でも、少し手間をかけて作った料理は、料理教室の味がしっかり再現されてなくても、味わって食べることができる。
これは、自分がその出来上がる過程を見ている、知っているという「情報量」の多さがそうさせるのだろう。
 
しかし、これを他人に振る舞うとなると、他人はその過程を知ることなくただ料理を提出されるのであるから、その人の体調や記憶はもちろん、その場の雰囲気、たとえばシンクがあまり綺麗でなかったとか、料理がミッフィーのお皿に盛られているとか、机の上に耳かきが置いてあったとか、そんなことが素材や調理法よりもそれが味わいに影響するのである。
だから、もし自分以外の人に料理を作るのなら、まずは食卓や、料理道具を綺麗にすることから始めないとな、なんて思う。
 
反対に、自分が他人にご飯を作ってもらえたら、あるいは外食なんかでも、その記号、値段や誰が作ったとか食卓が汚いとか、そんなことばかり気にするのではなく、どうやって作ったのだろう、自分がこの前作ったあの料理とどうしてこう味が違うのだろう、盛り付け方はこんなやり方があるのか、というような、そんな味わい方ができるんじゃないか、なんて思っている。
 
味わい方の訓練には、他にどんな方法があるのだろうか。多様な楽しみ方を持てるようにと考えている。
手料理だけが料理じゃないし、買ってきたものの美味しさを、もっと味わえるようになりたい。
少なくとも、「母が作った」「高かった」と思考停止しないようになりたい。
 
最後に、今さらながら「母がいれば」と思うことそのものの問題を思う。
父に対し家事という役割を担わせないとともに(働くことに集中するよう強いるとともに)、母に家事の役割を一手に引き受けさせ、なんとかやってきていた我が家とは何だったのか。
毎日毎日の積み重ねが、父のことも母のことも、僕のことも兄のことも蝕んで、今さら瓦解したのだ。
草葉の陰で何を思う。
いや、何も思わないだろう。
母の人生は、死によってようやく、僕に我々家族の人生のおかしさを知らしめた。
けれど、だから母が何を思うかと問うことの無意味さ、果てしない虚しさ…。
 
死者は、死後、自らの生の無意味さが露わになる瞬間を見なくて済む。
そんなことが、この世の救いなのかもしれない。
 
「早春散歩」中原中也

空は晴れてても、建物には蔭があるよ、
春、早春は心なびかせ、
それがまるで薄絹ででもあるやうに
ハンケチででもあるように
我等の心を引千切り
きれぎれにして風に散らせる

私はもう、まるで過去がなかつたかのやうに
少くとも通つてゐる人達の手前さうであるかの如くに感じ、
風の中を吹き過ぎる
異国人のやうな眼眸をして、
確固たるものの如く、
また隙間風にも消え去るものの如く

さうしてこの淋しい心を抱いて、
今年もまた春を迎へるものであることを
ゆるやかにも、茲に春は立返つたのであることを
土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
僕は思ふ、思ふことにも慣れきつて僕は思ふ……