読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

izumishiyou’s diary

いつも考えていること

新橋を走るような辛さ

この時期、会社は立ち話する人でたくさんだ。

異動の噂で持ちきりだ。
よその会社は知らないけれど、僕の勤める会社は「噂好き」がたくさんいる。
僕が立ち話している人らの横を通り抜けようとすると、その人らはひそひそ声を止め、僕が離れるのをうかがい、また話し始めるのである。
 
気がついたのだけれど、飲み会は、あれは噂話するところだ。
決して趣味や生活のことを話す場ではなく、「だれだれはどこに異動になった」とか「誰々さんは誰々と仲が悪い」とか、よくよく思い返せばそんな話ばかりだ。
 
なんとなく「噂話は女の人が好きなもの」と自分の中で思っていた節があったので、男の人がわいのわいの寄り集まって、そこにいない誰かのことをおしゃべりするのには違和感があった。
 
男女の意識の違いは狩りしてた時代から違うんだ、みたいな話はよくネタになる。
あまりリンクを貼りたくないような残念なまとめブログでそういうのが話題になっているようである。
 
「噂好き」で検索したら出てきたねーばーまとめも同じようなことを書いてた。
 
話をまとめると、古来(古来の意味はわからん)、男は狩りや戦いを担っていたので、グズグズしてたら死んでしまうため、即断即決、問題解決を目指すものであり、女は集落や家庭を守るため、周囲との強調性を重視しており、情報共有や共感することに長けている、というような対比である。
 
いきなり「古来」の意味がわからんのであるが、狩猟社会を想定していることから旧石器時代のことを指しているように思う。
なんかまあ、古来ってのを出せば今を肯定できるなんてのはとても貧しい発想だと思う。
たとえ古来、男と女の性別役割分業とそれに付随する能力の差があったとしても、それを現状にあてはめなんやかや言うのはわけがわからん。
現代においても女性は家事や子育てが向いていると言うなら、男は狩りが向いているのだから会社で仕事なんてせずにさっさと山に行って狩ってこいって話だ。
 
それに男の方が噂話好きだ。
会社にいると情報共有や強調性、共感をとても大事にしてる人ばかりだ。で、会社にいるのは男ばかりだ。
マメじゃなかったり、出し渋ったり、あしらったら、とんでもない仕打ちを受ける。
組織を守るための行動にとても厳しい。
問題解決のために一致団結するよりも、「立場を理解する」とか「そんな話聞いてない」とか「思いを汲んですり合わせる」とかそんなばっかだ。
「上の人がして欲しいと思うことを察してやる」なんてその極みで、だから杯が乾かぬようビールを注ぐんである。
何が女は会話で共感を求める、だ。そんなことに性別は関係ない。むしろ男の承認欲求の厚かましさよ。
 
男女は分かり合えないという話は、女性が男性の理解力のなさ、問題解決能力のなさ、頭の悪さを諦めるための方便なのではないか。
「パソコンが壊れた」と言う女性に対していきなり「どんな症状なの」なんて明らかに頭が悪い。
そこで症状分かれば解決できるんかっつう話である。どんだけ機械に強いんだ。プロか。少なくとも僕は、ブルースクリーンが出たらお手上げである。
物が壊れたといって電器屋や修理業者に電話せず友人あるいは恋人に電話してきてるならそれは「貸してほしい」って話じゃなかろうか。なぜ直そうとする。無茶をするな。
即断即決で直そうとする人なんて恐ろしすぎる。よく電話しようと思ったものだ。
相手の状況を考えること、たとえばレポートの提出日がいつなのか、代替の手段があるのか、そのレポートの重要性とパソコン修理にかかる費用との釣り合いは、とか何にも聞かずに「症状は!?」ってあり得ん。
石器時代に狩りをしていたとしても、恐ろしく見当違いのことを言い放って集団を混乱させていたに違いない。
 
そんな想像を絶するほど話を聞かない、頭の悪い男性に対し、「諦めなさい、男は"古来"そうである」とすることで納得させようと言うのがこういう「狩りする男と家庭の女」論なのではなかろうか。
さらに言えば、男にとって、そうやって女性に諦めてもらえることはとてもありがたいことだ。
男は「ありのまま」でよいのだから、楽だ。
せいぜい「大丈夫?」を好きな女性との会話の中では増やす程度の歩み寄りなんである。すでに人間関係を構築しようという意思がない、人として終わっている。
 
男性であることはとても楽で、はっきり言って申し分ないくらい楽で、ここにどっかり居座って、何も考えずにいられたら死ぬまで楽で、たまらんなあと思うことがある。
中には男だってしんどいんだと言う人もいるけれど、そのしんどさが「モテない」とか「お金が稼げない」とか「痴漢に間違われるのが怖い」とか「イケメンじゃないと女は喋ってくれない」とか「働いて家計を稼がないといけなくて大変だ」とか「女は働かなくていいから楽」とかそんなことばっかりだ。
モテないことと人生のしんどさは何の相関関係もないし、それこそいきなり「症状は?」とか聞いてくる人とは誰も話してくれないだろうし、結婚して、お金を稼ぐことが自分ひとりの責任となっているのが負担ならば、それこそその問題を自分ひとりで抱えないように相手に相談すればいい。相手にも働いてもらいながら、自分は家事を半分やるようにして、お金を稼ぐことは難しいことだから、それこそ男性らしく合理的な「解決」を目指したらいいのに、自分一人で稼がないとなんて、どこにどうプライドがあるのか分からない。
 
男が男であることに生きづらさを感じるのは男のせいである。自分一人のせいではないけど、すくなくともその一端を担っている。
それに対して女性が生きづらさを感じた時、その原因は男のせいである。あるいは男性から見て「女は楽だ」と思ったなら、それも男のせいである。自分一人のせいではないけど、すくなくともその一端を担っている。
こういうことを言うと男から怒られそうで怖いけれど、でもそうなのだから、自分の中にある男、男のうちの一人であることと向き合って、どうやって男を捨てるかを考えたい。
殻である「男」を捨てないと中身にある 「自分」が出てこない。
古来、とかDNA的に、とかそんな堂々巡りが続いて殻は分厚くなるばかりだ。
 
「男 人生」とかで調べてたら「女は人生イージーモード」というようなまとめサイトが出てきて、「男らしさ」について考える前の僕ならばきっと、楽しみながらその記事を読んだだろうと思う。
でも今は、「女は男を選べる」「女は売るものがある」というような言説を見ると、怖くなった。
「お前はどうせ条件のいい男を選ぶんだろ」「お前は体を売ればいい」と恫喝している/されているような気になる。
 
好きな女に振り向いてもらえない、という経験は多くの男性にあることだと思う。
僕にもかつてあって、その時に抱いた破滅的な気持ちは思い出したくない。
今となれば何をごちゃごちゃ考えていたのか。自分が可愛かっただけで、そんな慈しまれるべき自分が拒否されたことへの怒りだったのだと思う。自己愛としての異性だった。
相手の人からすれば、さほど知り合ったわけでもない男性から「好きだ」と言われ、遊びに誘われ、しつこくメールされ…。うわあ、恐怖しか感じないわ。自分にドン引き…。
なぜそういうことが自分にできたのかと言えば、自己愛でしかないから、相手が人であることに気づいていなかったのだ。
相手の人となりを知らずとも、「容姿」や「話し方」に感じいるものがあった、というのはフェティシズム、物神化に他ならない。
僕はその人と付き合いたかったのではなく、その人というモノを手に入れたかったのだ。きもい。
 
お見合いでも合コンでも、出会うことを形作られた場で出会った人の何に良さを感じるかといえば、プロフィールや容姿や話し方といった「モノ」的な側面しかない。
人と人が結びつくことがあるなら、「アティチュードが似ている」という前提がなければ、それを楽しめないと思う。
アティチュードとは態度、物事への接し方である。
だから、あるいは合コンという場を楽しめるというようなアティチュードが似ていて惹かれ合うことはあるかもしれない。あるいはお見合いのような場を大切に考えるアティチュードが合う人もいて、それで結ばれることは悪いことじゃないんだろう。
アティチュードを知るには、たぶん普段の生活、たとえば美術館の楽しみ方やあるいはライブの楽しみ方、ご飯の楽しみ方、そんな生きる時間の楽しみ方を知ることだし、その波長が合わない内から付き合うも何もないんじゃないかと思う、と昔の僕に言いたい。
 
一度デートしてみなくちゃ波長が合うかどうか分からないとも思うけど、そのアプローチの仕方からすでに波長、アティチュードは表されているので、うまくデートに誘えない時点でもう波長って合っていないんだと思う。
結婚式に出てたら、「まずはグループで遊んでてそれから2人で会うようになった」なんて馴れ初めがあるけど、その2人で会うようになる、抜け出し方みたいなのは、とてもナチュラルなものであって、何十回も告白したとかいうのとは違うんだろう(何十回も告白する「アティチュード」を良しとする、諸葛亮みたいな人もいるんだろうけど)。
 
恋愛やら結婚は人の興味や関心、耳目を集めやすいけど、結局は一緒に生きていくパートナーなら、そんなに必死に求めて出てくるものではなくて、いつの間にやらそばにいるんだろう。
それに、一緒に生きていくパートナーという観点なら、異性だけが対象じゃないはずだ。自分にとっての大事なものを共有できる人でなきゃ意味がない。性や生殖がパートナー選びの絶対条件ではないはずだ。
 
ツイッターで「フェミニズムはモテない」というのを見かけた。この人たちの思うフェミニズムって何なんだろう。
 
男が女を求める理由(モテたい理由)に、男の男嫌いがある。男は、自分も含め「男=汚い」「女=綺麗」と思い込んでいると思う。
男は男が大嫌いだ。だから、綺麗で、柔らかく、包み込んでくれる母性、女を獲得することで自分を肯定する。
女を家に押し込めようとするのは、そうすることで自分に金を稼ぐ、食料をゲットするという「生きる意味」を生み出すためのようにも思える。結婚したら仕事を頑張れる、という図式は、それを象徴している。
あるいは子どもを作り、子どもを育てるために働くといったことも「生きている意味」を作り出そうとした結果ではないだろうか。
積極的に子育てにコミットしないのは、自分の汚さが幼子にしみつくのが嫌だからかもしれない。
中島らもの『白いメリーさん』という短編集中「日の出通り商店街いきいきデー」という作品の中で、男に生きる意味なんて特にない、という旨のことを言わせていた(手元に本がない)。
男の男嫌いは、自分の生きる意味のなさにあるのかもしれない。自分の体内に子を宿すことのできない、無意味な主体としての男。いい加減に働き、脂ぎったものを食べ、酒を飲み、排泄するだけの存在。
この「男嫌い」は大抵、女を邪険に扱うことで強化される。生きる意味のある女を蹴飛ばせる、黙らせられる男としての俺、として完結するが、反対に女を崇拝するようになる人もいる。
女を崇拝する、というのが、厄介なもので、それがさっきの「フェミニズムじゃモテない」に繋がる。
男は汚い、女は綺麗、だから女の綺麗さのために俺は尽くそう。なんて言ってみても、根が男嫌いだから、女に認められないと自分を肯定できないことに変わりがない。気ままに生きる「女を蹴飛ばす男嫌い」には蹴飛ばされる女がいるのに、自分は女を認めているのに女がそばにいないという状況にいら立ち、仕舞いには「どうして女は俺の努力を認めないんだ!」と喚きだす。怖すぎるわ。
自分を棚にあげて、女のせいにしてしまっている時点で変わりなく、まず自分を好きになれと言いたい。
男にとってのフェミニズムは、「女の言うことを聞いてあげる」ものではない*1。「で、女はどうしたいの?」なんていうのは、一番最低な発言だ。仕事で上司に「で、どうしたらいいですか」と言ったら大抵「自分で考えろ」「おまえはどうしたいんだ」と言われる。
だから男にとってのフェミニズムは「自分はどうしたいのか」、つまり「男はどうすれば自分の人生を生きられるようになるのか」「男はどうすれば自分を自分だけで肯定できるのか」を考えるものだ。
モテたい、というのは自分で自分を肯定できないので女に自分を肯定してもらいたい、という欲求であることにまず気がつかないと、フェミニズムも何もない。
 
そうなんである。人は1人で生きていけるはず、自分で自分を肯定できるはず、あるいは1人で死んでいく存在なのだから、本来パートナーなんて必要ないし、あるいは生活上、3人組とか4人組の方が効率やリスクヘッジにはいいかもしれないのに、わざわざ真っ正面から向き合わないといけない「2人組」を選ぶにはそれなりの理由が必要だ。
寂しいとかみんな彼女、彼氏がいるとか老後の不安なんてのは、相手に自分を肯定してもらうことで自分を肯定するための手段であって、それはポジティブな理由じゃない。
朝日新聞で「マタニティハラスメント」の被害者支援をしている女性、小酒部さやかさんが載っていて、「私と結婚して損したでしょ」と聞いたら夫から「こんなに見ていて飽きない女性はいない」と言われたらしく、なんて羨ましい関係だと思った。
アティチュードってのは、そういうことが言いたいのである。
 
 
男も噂話好きだ、男女の意識差なんて嘘だ、ということを書くつもりだったのがいつの間にやら恋愛がどーとかいう話になってしまった。
意識差ってのは、人を「モノ」のように扱う態度の濃度なんじゃないかと思う。
貨幣社会、資本主義社会では、なんでもお金になるから、人も金=モノとして扱うことができる。
仕事というのは、モノを扱うことだ。ルールに則って人は動かなきゃならない。ルールに違反してはならない、人もモノとして扱うのだ。
なので、仕事が人生の大半である男が、日常で人と向き合おうとしても「モノ」と向き合ってしまうように見える。男並みに働く女性にもそういう傾向の人はいるだろう。うまく使い分けられる人は、多くない。
異動ってのもそうで、駒をどうしようかみたいな発想。人員削減的なのも、頭数というモノ的発想で、何の人間味も感じない。
情報交換なんてのも、このカードを出したからお前もなんか出せというやり取りでしかなく、絆を深めてるんじゃなくて、利害関係を強化してるに過ぎない。
 
そう考えれば、ある意味、男はモノ化することが得意になれば人生が楽だ。反対に女はモノ化されることに慣れれば、楽である。
でもそこから抜け出そう、人になろう、人と生きようとして、その結果生きづらさが出てくる。
モノであれば、感じなかった辛さを感じるようになる。
知れば知るほど、悩みは茨のように突き刺さる。

 

 

悩みはイバラのようにふりそそぐ―山田かまち詩画集 (ちくま文庫)

悩みはイバラのようにふりそそぐ―山田かまち詩画集 (ちくま文庫)

 

 

もっと話を広げて、上司の部下への態度や男性の女性に対する態度、子供、老人、障がい者といった様々なことを考えたけれど、今はうまく言葉にできない。

最近なんだか、前はなんとも思っていなかったことが、むき出しの皮膚に熱した鉄を当てるように痛い。
送別会では噂話ばかりだ。僕は二次会には行かず、逃げ出した。誰にも何にも言わずに、走って逃げた。新橋を。
後ろから「全員そろったか、行くぞ」「あれ、一人いなくない?」という声が聞こえてくる。

*1:リンク先の発言中に「男女は平等、男尊女卑はおかしいと思っている」と男性らしきアカウントの人が言っていて、きっとこの人の男女平等はドラマの「残念な夫」程度の玉木宏演じる夫程度の男女平等で「一日自由に遊べる時間を作ってあげた」とか「働いてもいいと許した」とか「おこずかい制を受け入れた」とか、そんな圧倒的に男尊女卑な男女平等ではないだろうかと思った。「で、俺はおまえの言うこと聞いたけど、それ以上にどうしたらいいの」というセリフは終わっている。確実に破局するやつだ。同世代で「男女平等」という言葉に「そんなの間違ってる」といきなり否定から入るのは少数だろうけど、実際の行動においてはそうではなく、そこはかとなく女性を見下している。あのツイッターでのやり取りが全然実を結ばないのはそういう「結局女に認められたい男嫌い」な男たちの愚痴でしかないからだと思う。