izumishiyou’s diary

いつも考えていること

相撲と差別についてのメモ

白鵬が批判されてる。
違和感しかない。
批判する人が何を言いたいのか、裏のメッセージが強過ぎて胸糞悪い。
批判する人の前提には、そもそも「相撲は国技」というSVCな一文、命題があって、それが揺らがないですべての問題に結びついている。
相撲は国技とは明言されていないというそもそも論はアホらしいのでしない。
そんなことを言っても日本人が愛してるのだから国技だ、とかいうどこから突っ込めばいいのがわからない意見や国のお金をもらっているという「お客様」な意見など、反論することにうんざりするに違いない。
他にもごちゃごちゃといろんな反証があるだろうが、関係ない。
それよりも、もっとそもそもの話、「国技だからってなんだってんだ」という話だ。
国が認めようが、天皇が何を言おうが、関係ない。
そんなことよりももっと大切なことがある。
それは、「どうして国技だからって、国籍を問うことが許されるのか」ということだ。
こうやって国籍に言及し、人を品評するなんて、ただの差別じゃないか。
差別じゃないのなら、なにか。
人の行動に、振る舞いに、人の選択肢に、国籍を問うたのならそれはなにものでもない、紛れもない差別だ。
自分の身に置き換えて考えてみればいい。今の職業になるために(学生でもアルバイトでも、それは関係ない。今の自分が自分であることにおいて)、「国籍」が問われたとしたら、恐ろしいことかと思わないだろうか。
もし日本人だからと職業の選択に制限がかけられたとしたら、それを差別とは思わないだろうか。
それが相撲ではあるのだ。
平然と差別しながらなおも「品格」を求め、排除しようとしている。
その厚顔さには恐れ入るが、そもそも差別している自覚がないのだから、たちが悪い。
 
ずっと、ずーっと角界は現在進行形で差別をし続けている。
一部屋に一人しか外国籍(日本国籍以外)の弟子は所属させられないし、親方になるには日本国籍でないといけない。
だから、なぜ国籍を問うのか。
何の意味があって国籍を問うのか。
相撲は日本だけのものなのか。
それなら最初から「外国人」を入門させるな。たとえ頭を下げようと入門させるな。その覚悟もなしに、入門させてから差別するなんて、おかしい。おかしすぎる。
そうでなくたって入門してから、見て学べ聞いて学べで、大して日本語も教えず、独力で日本語を習得させ、日本の文化に馴染むことを強要し、そうやってでも相撲を好きでいてくれて、強くなって出世するんだと我慢し努力し、十両、幕内、三役、大関横綱と昇進するのにどれだけの苦労があることか。
そうやって強くなった先にあるのが「今場所こそ日本人力士の優勝を」とか「モンゴル人は驕って態度が悪くなる」とか「外国人力士の相撲は張り手やかち上げで汚い」とか、そんな批判が待っていて、よく辞めないでいてくれると僕は本当に感謝している。
彼らがいなければ(より直截的に言えば、「彼らの犠牲がなければ」)、今の角界の盛り上がりはない。
 
偉大な記録がほしいんじゃない。おもしろい一番が観たいのだ。
品格ある横綱がほしんじゃない。土俵上の熱戦が観たいのだ。
それを作り上げているのは「日本人」じゃない。
「力士」たちが作り上げているのだ。
そんな程度のことも理解しようとせず、ひたすら「日本人」であることに価値を置く人は、差別をしている人だ。
ヘイトスピーチを撒き散らしている人と変わりない。
その人にとって何の関係もないことで人を判断しているのだから。
 
日本とは、日本人とは何なのか。
何をもって「日本人は礼節がある」なんてことを言えるのか。
この間デパートで見かけた光景を思い出す。
子どもが店員さんにぶつかり、持っていた飲み物が自身のスカートにかかってしまった。謝る店員さんに対して(ぶつかったのがどっちが悪いかなんて分からない)、その子の父親が延々と怒り続けていた。「どないしてくれんねん」と。服のクリーニングと新品の提供を申し出た上役に対しても「今から大切な行事があって、この服を着させたのに、別の服に着替えろでは済まない」と。多くの人がいる場所で、自分の子どもが見ている前で。
礼節のあるなしについて、どう考えるか。まあ、どっちだっていい。様々な事情があって、むしゃくしゃしていたのかもしれない。にしてもその横柄な態度ははたで見ていてとてもムカつくものだった。そういう胸糞悪い光景が好きな僕はそこにいて、にやにやとその怒鳴り声を聞いていたわけだ。
さて、怒鳴るこの人は日本人か。
こんな質問を唐突と感じることが正しい。
しかし、白鵬は懸賞金を受け取っただけて「日本人じゃない」と批判されたのだ。
あなたは何をどう思うのか。
あなたは日本人か。
なぜ日本人なのか。
そこに「意味」はあるのか。
 
余談となるが、作家の池澤夏樹のエッセーが教科書に取り上げられ、それについて前衆議院議員義家弘介が「おそらく伝統的な日本人なら誰もが唖然(あぜん)とするであろう一方的な思想と見解が、公教育で用いる教科書の検定を堂々と通過して、子供たちの元に届けられた、という事実に私は驚きを隠せない。」とコメントしたそうだ。
池澤夏樹のエッセーの内容をまとめると「桃太郎は一方的な征伐の話であり、何も悪いことをしていない鬼を倒し、宝物を奪い、しかも仲間は人間以下の犬や猿であり、それもきび団子で雇った傭兵である。そこには侵略戦争の思想、日本人の心性が表現されている。」というようなものである。
「伝統的な日本人」な人は唖然とするのだろうか。
福沢諭吉も同様に桃太郎の物語をして「鬼が悪く、世の中の妨げをしていたなら、桃太郎が懲らしめることは良いことだけれども、宝を取って、おじいさんおばあさんに分けたということはただ欲望のために行ったことで卑劣千万だ」と喝破していたそうだ(池澤夏樹地震のエッセーを書いたのちに知ったそうだ)。
伝統的な日本人ってなんだ?
 
国籍を問われる感覚、出自に言及される恐怖は自らの身で味わわないと分からないものがあり、多くの日本人はその感覚が欠如しているように思う。
10月に発表された文藝賞受賞作品「死にたくなったら電話して」はこれにかんする人間の醜さを、深く心をえぐる熱情で描き出しているので、ぜひオススメしたい。
ぼくはその場面で背筋が凍ってしまった。あと降りる駅を間違って二駅も乗り過ごしてしまった。
 
フジテレビの「ザ・ノンフィクション」で朝青龍が「品格とは何か」と問われこう答えた。
 
「分かりません。品格って何ですか。朝青龍朝青龍。他の力士は他の力士。」
 
「そんなこと聞く方が品格がないんじゃないですか。」
 
今、白鵬批判をしている人は、この朝青龍の言葉をどう受け止めるのか。
 
相撲協会が、日本国籍以外の親方を認め、一部屋に一人のルールを取っ払うことをファンは願うべきじゃないだろうか(願っていると思いたい)。
その方がもっとおもしろい相撲が待っているに違いない。
相撲協会のルールを補強するような、差別的な考え方がファンの間の主流ならば、僕は相撲を心の底から楽しめない。
何の障害もなく、相撲を楽しませてほしい。
というか、国籍なんて、マジで、どうでもいい。