Nu blog

いつも考えていること

スワジランドとおにぎり-批判を受けて「少しずつ変わる」

 9/25の朝日新聞スワジランドの記事を読んで思ったことがあります。
(→http://www.asahi.com/sp/articles/ASG9B1RS2G9BUHBI001.html)

  スワジランドでは一夫多妻制の風習が残っていて、成人の3人に1人がHIVに感染しており、その予防の妨げになっている、という内容の記事でした。

 

 そもそも国王が一夫多妻制のお手本になっていて、毎年、国中から女性を集めて踊る祭り(リードダンス)が開かれ、国王はその中から新たな妃を選び、今や国王の妻は14人もいるそうです。
 その国王が不特定多数との性交渉はやめましょうと言っても説得力はなく、また男性においても「交際している女性の数を誇ったり性交渉の回数を自慢したりする傾向がある。その一方、避妊したりHIV検査に行ったりすることを見下す風潮がある」とのこと(まあ、ここらへんはスワジランドに限った話と言い切れない気もします…)。

 一夫多妻制を伝統、文化として守ることとHIVの感染率や男尊女卑等の問題について、その解決策がどこにあるのか、正直コメントしようがありません。もしかしたら一夫多妻制と男女平等を両立して達成することを探るのか(ちょっと今の僕には想像つかないけど、そういう方策もあるのかもしれない)、あるいは一夫多妻制という文化を捨てるのか、何にせよ現状維持、変化しないことはあり得ないことだと思います。


 それよりも気になったことは、お祭り「リードダンス」に参加した18歳の女性が「参加できて誇りに思う」と言い、19歳の女性が「来年こそ、妃に選ばれたい」と笑った、という内容です。
記事中に名前があるので、記者が会って取材し、そう答えた2人の女性がスワジランドで生きているわけです。
 この2人の女性の言葉を、どう受け止めたものか。
 考えるにあたって、まず、僕は彼女ら自身を批判する気はないことを断っておきます。
 現状、スワジランドで妃に選ばれることは「裕福な暮らしが約束される」ことに他ならないし、母国の文化の一端を自分も担っていることを誇りに思うことに、他人が何か言うことはありえません。
 だから批判するならスワジランドの文化、風習が対象になります。
 女性を裸で踊らせ、その中から気に入った1人を選び、またその次の年になれば別の女性を選ぶ。
 裕福な暮らしをさせてもらえるんだからいいだろう、という人がいるかもしれませんが、それはもし選ばれたらの話でしかありません。
 多くの女性は当然選ばれず、記事を引用すると「既婚の中年男性と10代の少女が交際することも、当たり前のように行われている。男尊女卑の傾向も強く、レイプや家庭内暴力が後を絶たない」状況へと突入するわけです。
 その結果がHIVについて「成人(18~49歳)の感染率は31%。特に30~34歳の女性では54%、35~39歳の男性では47%」となるわけです。

 ここで話を変えます。
 というのもこの記事を読んで僕が連想したのは、今さらとかしつこいとか言われるかもしれないけど、夏の高校野球で話題になったおにぎりを2万個握ったマネージャーのことだったのです。
 ご存知かもしれませんが、僕なりに話題の流れをまとめると、

「スポーツ新聞である女子マネージャーについて、進学コースを取りやめマネージャーに専心した(おにぎりを2万個握った等)として、好意的に取り上げた」

「進学を諦めた上でクラブ活動、それもおにぎりを握るという男性に奉仕する存在としての女性を象徴するような行為を好意的に取り上げる点に批判の声が上がった」

「がんばってクラブ活動をしている高校生を批判するのか、という批判が沸き起こった」
 さらに時期を同じくして高校野球の準決勝において延長50回を戦わせるという別件が発生しました。
 両案件とも合わせて「本人の意思としても止めるべき」とか「そもそもそういう事態になるようなルールや風土がおかしい」という批判がまず上がり、それに対して「本人らがやりたがってるんだから見守るべき」というような意見が出て、炎上しました。

 ここで、これもその炎上の一角を担った「おにぎりマネージャーの生きる道」という記事を紹介しておきます。
(→http://bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsutani/20140814-00038232/)
 この記事では、勉強ではなくマネージャーを頑張ることが「AO入試や就職で有利になる」「女性の社会進出のリソースのひとつ」と考えられると指摘しています。
 当然ながら、彼女自身がそれを狙ってマネージャーをやった、おにぎりを握ったわけじゃないだろう、というコメントが発生し、本来の意図である「善し悪しはともかくこうした状況こそがいまだに日本の現実だということ」「議論しなければならないのは、こうした社会状況の問題点を丁寧にあぶり出していくこと」という「日本の現実」に対する批判という論点が理解されなかった印象があります。
 記事下部のFacebookコメントを参照していただくと、そうした批判への批判の内容がよく分かるかと思います。

 これらの騒動の根っこには「本人がやりたがった」点にあります。
 本人が希望するのが悪いと言いたいのではありません。
 本人が希望しているからこそ、おかしな行動を止めること、おかしな構造を批判することが許されなくなってしまったのです。
 女子マネージャーの彼女は所属する高校の敗退後、インタビューで「後悔はありません」と答えています。(→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140820-00010001-withnews-base)
 延長50回を戦った投手も大会後のインタビューにおいて「マウンドを譲りたくなかった」「最後まで投げたかった」と述べています。(→http://a.excite.co.jp/News/sports_clm/20140913/Shueishapn_20140913_35667.html)
 本人たちがしたかったことをしているというのに、どうして関係のない人が文句を言うのか。
 芸人のたむらけんじが「延長50回は残酷ショーだ」と批判した教育評論家の尾木直樹を批判した言葉が象徴的です。

「一生懸命戦った高校生達の気持ちは考えてんのか?ショーって言われて喜ぶと思ってんのか?もちろん子供達の身体の事は考えなあかんけど、本人達がゆうのはわかるけど、外野は黙っとけよ!」
(→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140903-00000034-dal-ent)

 ここでスワジランドに話を戻します。
 「妃に選ばれたいと言う女性がいること」等々含めてスワジランドを批判した時、女性マネージャーの時のように、延長50回の時のように「本人らが望んでるのにどうして批判するのか」と言う人はいるのでしょうか。
 同じ流れでいけば、当然そう言う人はいるわけですが、多分いないはずです。
 遠い外国の一夫多妻制、男女差別、HIVの蔓延、という明らかな問題があるからでしょうか。
 いやいや、先ほどの女性マネージャーや延長50回だって、明らかな問題を孕んでいました。
 自分が慣れ親しんだ文化が批判されることが嫌なのでしょうか。
 それならスワジランドの人たちも同じ気持ちでしょう。
 朝日新聞や記事に出てくるJICAやNGO団体に「外野は黙っとけよ!」と私たちは言ってしまうのでしょうか。

 取り巻く環境に、人間は適応していくものです。
 地面が斜めなら、体を傾けて、こけないようにする。
 国王の妃になることが裕福な暮らしにつながるなら妃になることを望むし、社会進出のリソースが勉強よりもクラブ活動にあるならクラブ活動をがんばる(これはおにぎりマネージャーというよりも、体育会系の方が就活が有利、という話につながるかもしれません)。

 たとえばある人が傾いた家に住んでいて、机の脚に本を挟んだりしてなんとか住んでる状態です。ご飯をするにも食べるにもお皿やコップが滑らないよう支えながら食べるのです。
 ニュースか何かでその状態が取り上げられ、ある人は「建築会社に言って、傾きを直させるべきだ」と言い、それを聞いた他の人は「がんばって住んでるのに批判して、追い出す気か!」と言いました。
 いやいや、建築会社に怒ろうよ、と言いたくなりませんか。僕はなります。

 さて、その建築会社とはどこか(なんだかキリストみたいな口調になってしまった)。

 スワジランドならその文化、風習、引いては国王、国政でしょう。
 女性マネージャーや延長50回についてなら、あまりに自然に蔓延っている男女差別であり、日本のスポーツ文化であり、ルールを作る高野連であり、進学や就職における勉強よりも課外活動を偏重する日本の教育制度であり、引いては日本の企業文化、人事制度や就労体系といったものも関連しており、そうなると個々の企業すらも対象となるわけです。
 つまり、何か一つを叩けばどうにかなる問題ではなく、様々な問題が絡み合い、「日本社会」や「スワジランド社会」として浮かび上がってくるのです。

 女性マネージャーの件で批判した人を批判した人たちは、傾いた家に住む人のこと、スワジランドの女性のことをどう考えますか?
 もしかして、スワジランドの女性は笑っているのだから、そのままでいいんですか?
 スワジランドはそうじゃないけど、女性マネージャーはそうなんだ、と言うなら、もうひとつ、がんばっている人たちの例を紹介します。

 ワタミという外食チェーンを経営する会社の話です。
 今は公式ホームページから削除されてしまいましたが、「パート・アルバイト募集」の欄で6名のスタッフが紹介されていました。(→http://news.livedoor.com/lite/article_detail/7801371/)
 自腹でリキュールを揃えた社員がいたり、ユニフォームがぼろぼろになるまで働いている人たちの話が載せられていたという報道があったのです。
 これもまた本人たちが望んだことなのです。

 さて、スワジランドの記事にはHIVに感染した女性の言葉かあります。
 「スワジランドは小さな国。子孫を増やして国や民族を守るためには、一夫多妻制やリードダンスのような文化は必要だと思う」。

 たとえおかしなところがあっても、所属する人たちが望むのなら、その社会は肯定され、批判は許されないのでしょうか。
 先ほどの女性は続けて最後にこう言います。
 「でも、それがHIVの感染拡大や偏見につながっているのだとしたら、私たちは文化を少しずつ変えなければならないのかもしれません」

 私たちも、批判を許さないという私たちの文化を「少しずつ変えなければならない」のではないでしょうか。

 そして、文化を変えるとは、政治や会社や学校や組織といった大きなものの変化を待つ事ではないと思います。

 もちろんスワジランドの女性でも国王でもなく、女性マネージャーでも延長50回を戦った選手たちでもワタミの社員でもありません。

 「少しずつ変わる」べきは、そこからおかしさを感じた私たち一人ひとりのはずです。