Nu blog

いつも考えていること

諦めの終わり、私の始まり―量産型女子の個性の行方

毎度自分のネタ元が朝日新聞しかないのであるが、先日「声」欄、読者からの投稿欄に面白いのがあった。

「声」欄はおもしろい。偏っているなどともいわれるが、最近は読者間での意見のやり取りも多く、多様な意見をすくい上げることで盛り上がっている。

digital.asahi.com

 大学で、友達と思って声をかけたら人違いだった。後ろ姿がよく似ていた。周りを見ると、似た格好の女子大生があふれている。ふんわり巻いた茶髪、白いブラウス、ベージュのジャケットに花柄スカート……。高校の制服から解放されたのに、これは一体何だろう。

 「量産型女子大生」とも言うそうだ。大量生産された商品のように、同じ服装、同じメイクを好むからと生まれた言葉だ。もちろん流行もあるが、そのファッションが自分に似合うのかは考えるべきだと思う。

 世の中にはいろんな顔や体形の人がいて、それぞれの良さがある。なのに周りと同じような格好をしては、その人だけの良さを無視しているようで、もったいない。私自身も含め、もっと自分の魅力を生かしたおしゃれを楽しめるといいと思う。

「量産型女子」 で検索すると、その言葉自体はツイッターではずいぶん前から見かけていたように思うが、例えば以下のNAVERまとめは2016年8月、つい最近の記事である。

matome.naver.jp

2015年初めに放映されたドラマ「問題のあるレストラン」で、高畑充希が「キラキラ巻髪量産型女子」という役柄を演じていた。男性社会の中で、女性が生き残るには過剰に女性らしく振る舞うことが得策、と「計算高く」生きている、という設定で、男性と対立せざるを得なくなる真木よう子二階堂ふみ演じる女性たちに「生き方が下手」だと投降を呼びかけるような役だった。

物語の後半では、そうした「計算高い」生き方ですら男性たちはいともたやすく踏みにじり、「量産型女子」としての外見は変わらないまでも、真木よう子らの経営するレストランへ参加する。

この流れは、見ていた当時、自分の会社にも多くいる「自分を持った」女性たちが「女性らしさ」を強制されている姿と重なり、ずきずきと胸の痛むところだった。無論、ぼく自身も、周囲の女性に女性らしさを押し付けているところがあるだろう、という罪悪感から湧き出た反応だ*1

matome.naver.jp

NAVERまとめにおいても、声欄の投稿にしても、また「問題のあるレストラン」における描かれ方にしても、「量産型女子」は「否定的」な捉え方をされているところがあるかと思う。

「右倣え右」を高みから見物してバカにすることは容易いが、なぜ「右倣え右」しなければならないのか、その理由まで理解しなければ否定することはできないとぼくは思う。

 

学術的に、人がどのような要因で「明日何着て生きていく」のを決めるのか、について考察したものはあるだろう。特に近代という消費社会において、何がどのように人々の欲望を刺激し、消費活動を促進させているのか、という分析なら山ほどあるに違いない。

それらを勉強せずに直感的な考えを述べさせていただくが、この「右倣え右」の要因は「諦め」ではないか。

 

量産型女子と同じく画一的な服装から否定的に捉えられることが多いのが「就活」である。皆一様に黒いスーツに身を包み、男性なら表情の見える短髪、ネクタイは紺か赤で、大体レジメンタル。女性なら、髪をひとくくりにして、メイクにさえやり方があるとか講習があるとか。鞄も黒くて自立するもの。

この黒スーツの意味するところは社会に出るために自分を殺す「葬式」ではないか、などと冗談を言う余地すらないほどシリアスな様相である。朝井リョウの「何者」を読めばいいだろうか。

 

就活する人が「諦め」を抱いているのは、薄らと分かる気もする。「そうしないと結局受からないんでしょ」、まさにその通り。この就活というシステムに乗って就職する以上、無個性な中で自分の能力をアピールできなければならない。個性的な人は別ルート、一本釣りで就職するのだから。

では、量産型女子は何に諦めているのだろうか?

 

補助線が要る。

「GINGER」という女性誌の2016年10月号に補助線になるであろう材料があった。「GINGER」は幻冬舎から出版されている月刊誌、主に30代女性をターゲットとしており、表紙には長谷川潤率が高め、ヨンアや香里奈といったモデルが多く紙面には「女性らしさ」や「いい女」「モテ」といった言葉が少なくない。

そんな「モテ」関連の中で「そろそろ「大人のモテ」について考えてみよう」という記事があった。

こういうのはGINGERに限らない。ずいぶん昔だが、Zipperに「モテるためのLINE術」的な記事があって、驚愕したものだ*2

「モテ」関連記事にはなぜか一般男性による「モテる女性像」トークがある。本件に限らず、上から目線の発言がオンパレードでムカつくことを保証する。本件であれば、まずそもそもそのページのタイトルが「T.P.Oをわきまえた女」である。「なんだ、この野郎、ここ女性誌だぞ、TPOをわきまえやがれ」と言いたくなるのを抑える。普通は似顔絵とか「イケメン」みたいな適当な肩書で外見がいまいち分からないようにしているのだけれど、本件では大胆にも顔をさらしていて、写真が小さいのでわからないがイケメンでもなく、甘めに言って普通。白いシャツばかりなのが気になる。

 

可愛いアピール! そういう計算高い女は嫌だな

飲み会で「絶対に彼氏を見つける!」みたいな本気モードの子。頑張ってるなーって思っちゃうこはキツイです、正直

多くの男が女に求めるのがコレ(=気立て)。容姿より気立ての良さ重視な人多数。「仕事が忙しくても文句を言わない」「男友達との付き合いを尊重してくれる」など。「気立てのよさは生まれつき、取り繕えない」

彼女がおしゃれ好きすぎるのも微妙。

やっぱり男だから、多少の肌見せがあるとありがたい(笑)。やっぱりデートでスカートをはくなら脚を出して欲しい。

 

など素敵な上から目線のお言葉を頂戴しつつ、

結局のところ、俺も見た目に関しては量産型の女が嫌いじゃないから、人気のオフショルとかツボ。デコルテや肩が見えるのって、やっぱり女らしい。

と、とうとう「量産型女子」というキーワードが出てくる。

注釈で「いわゆるモテを意識した、世の中に似たようなタイプがたくさんいるマス層の女子を刺す。悪く言えば個性がない。男が「可愛い」「手が届きやすい」と思える感じ。コンサバ感強めで、モテ&メイクを心得ている」と説明される。

これを補助線にしたい*3

 

モテ、という目線から「量産型女子」という言葉が語られていることが重要だ。

モテをどう定義するかは人によるのだが、ここでは「他者から恋愛感情を持たれやすい」こととしたい。

さてしかし、恋愛とは「私にとってあなたは特別である」ことを示す行動のこととぼくは思う。にもかかわらず、「特別」とは正反対の「無個性」を求める情動がある、とは不思議なことではないだろうか?

いや、不思議なことではないのかもしれない。なぜならば、恋愛が就活と同じく「そうしないと結局受からないんでしょ」に似た諦めに陥ってしまっているのであれば、無個性と特別は両立しえるからだ。

男性から選ばれるためには無個性でなければならない。なぜなら、男性はその人らしさよりも「TPOをわきまえる人」であることが重要だから。つまり、男性である自分を脅かさない、むしろ押し上げてくれる存在としての女性しか求めていない。

そのような男性の自分勝手な振る舞いを目の前にしても、女性にとって「男性に選ばれることが重要」な社会が、現前とある。

女性は諦め、無個性とされる「量産型女子」化を受け入れざるを得ない。就活や日本型企業のような「既存のシステム」との相性も良いため、男性社会の"適切"な再生産がなされる。

つまり、男性社会への諦めの表れが「量産型女子」の要因と思うのだ。個々人の「無個性さ」を責めたり、揶揄したり、意見しても、意味がない。

そうであるならば、まずは個性を尊重する社会を形成しようとするのが先だ。

 

恋愛及び人間関係は「私にとってあなたは特別である」ことを表明するものとぼくは思っている。

もちろん、「たまたまあなたがそこにいただけ、ただそれだけ(by「たまたまニュータウン相対性理論)」なことはよくあることだろうし、すべてのことは偶然であり必然であるからこそ面白い。

しかし、利己的に、他者に「無個性さ」を求めるのはおかしい。利己的に他者を使う人は他者にも同じように使われるリスクを負う。

道具のように恋愛や人間関係を扱ったら、やっぱりだめだ。

 

にしても、NAVERまとめに実際に写真を乗せられた「量産型女子」本人がそこまでのことを思っているわけはないだろうし、本人はそれをこそ「個性」として受け入れているだろうとぼくは思う。

こうやってメディアに転載された途端、まるで人格のない「群衆の一部」のように取り上げられるのは、腹立たしいことと思う。

 

「ふんわり巻いた茶髪、白いブラウス、ベージュのジャケットに花柄スカート」。

確かに個性は服装にも表れるが、たとえ服装を量産型と揶揄されようとも自分を肯定することだけは諦めない。もし、何かを諦めて量産型な服装をしていたとすれば、そこから個性、いや「自分」が始まる、と思う。

*1:まとめ内から高畑充希演じる川奈役の名言を引用。

「えっ?みなさん何で水着着ないんですか?私いっつも水着着てますよ。お尻触られても全然何にも言わないですよ。お尻触られても何にも感じない教習所卒業したんで。その服男ウケ悪いよって言われても「あーすみません気を付けまーす」って返せる教習所も卒業したんで。痩せろーとかやらせろーとか言われても笑ってごまかせる教習所も出ました。免許証、お財布にパンパン入ってます。痴漢されたらスカート履いてる方が悪いんです。好きじゃない男の人に食事に誘われて断るのは偉そうな勘違い女なんでダメです。セクハラされたら先方はぬくもりが欲しかっただけなので許しましょう!悪気はないのでこっちはスルーして受け入れるのが正解です!」

「どうしてしずかちゃんはいつもダメな男と偉そうな金持ちの男と暴力振るう男とばかり仲良くしてるのかわかりますか?どうしていつもお風呂場覗かれてもすぐに機嫌治すかわかりますか?どうして女友達がいないかわかりますか?彼女も免許証いっぱい持ってるんだと思います。じょうずに強く生きている女っていうのは気にせず許して受け入れて…」

「わかる?≒(ニアリーイコール)。ほぼ同じ。女は、つきあってる彼氏さんの職業ニアリーイコールなの。彼が弁護士なら、私は≒弁護士。彼が脳外科医なら、私は≒脳外科医。彼が無職なら、あたしがどんな仕事してても、それは≒無職。」

なお、二階堂ふみ演じる新田に「信じてもないくせに得意料理は肉じゃがですって言わなきゃいけない宗教に入ってるから嫌いなんです。浮気はバレなきゃいいって言わなきゃいけない宗教に入ってるから嫌いなんです。彼氏に殴られても私のほうが悪いって思う宗教に入ってるから嫌いなんです。」と喝破されるが、これもまた辛い。なぜなら、新田もまた男性社会に踏みにじられてきた。

「男は勝てば女に愛されるけど、女は勝ったら男に愛されなくなる。女は勝ち負けとか放棄して男に選ばれて初めて勝利するんだ」

*2:Zipperは青文字系の代表的な雑誌。反対語は赤文字系。赤文字系の代表はCanCamとか。赤文字がコンサバファッションで、「男性にモテる」ファッションであるのと正反対に、青文字は男性に媚びない自己表現的なファッションと言えるだろうか。赤文字が蛯原友里で青文字はきゃりーぱみゅぱみゅと言えば、不正確ながらもある程度の想像がつくだろうか?

*3:なお、一応、最後に申し訳程度に「あれ、ちょっと待って。こんなに上から目線で語ってるけど、結局俺たち誰も結婚できてないよね(笑)? 俺たちも彼女に"本命彼氏"と思われるように精進しなきゃですよね」などと言わせているが、時すでに遅かろう。