Nu blog

いつも考えていること

堀越英美「不道徳お母さん講座」

副題は「私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか」である。
 
二〇一八年度から道徳が教科となり、子供たちは伝統と文化を尊重することや家族愛、規則を尊重することを授業の中で教えられることとなった。
母親が無償の愛で子供に尽くす物語を読ませられたり、送りバンドのサインを無視して二塁打を放ちチームを勝利に導いた少年がボロクソに怒られたり、するらしい。
日大アメフト部の例を出せば、一瞬で反例の見つかるそんなお話であっても、小学校の授業における答えは「自己犠牲は尊い」の一択なのである。
 
どこからそんな発想が生まれてきたのか、そして日本において定着したのか。明治時代に遡って、その起源をたどっていく。
 
結論は「終わりに」でまとめられているとおり、
 
本の学校教育は、子供を型にはめる儒教主義教育と、子供の感動や関心を中心に据える自由主義教育の二つの勢力のせめぎあいの中で発展してきた、集団での感動を求める自由主義教育は中央集権的な学校教育のもとで全体主義へと変質し、両者の相互浸透で「感動の物語で情緒的共同体を形成し、自発的に子供たちが型にはまっていくように誘導する」学校教育が主流となった。
 
ということに尽きる。
言外に理想の子供を匂わせ、その通りに振る舞わせようとする教育。
この国には「あなたはどう生きたいですか?」という、生きるにあたっての一番はじめの質問が欠けている。
どう生きたいかは道徳の枠にはない。
 
丁寧に一つ一つ文献にあたっていく姿勢には感服させられるし、的確なツッコミも面白い。
大河ドラマ「いだてん」で話題になった天狗倶楽部を結成した押川春浪が出てきたり、愛国と母性幻想の礎・北原白秋など、日本文学史としての側面も勉強になる。
坪内逍遥が小説の復権を唱える際に、女子供に読めるような内容ではなく、大人の男が読む芸術として小説を語ったという下りには、松本人志のお笑い論やロックバンドにありがちな男性偏重を思い起こさせる。
 
おきゃんな少女が悲惨な目にあう物語が量産された時代は、そんな遠い昔の話ではない。